昔話1 ワシントン州のBSEの現場(2003/12)
- sandayu9
- 2017年1月11日
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米国のベネマン農務長官が2003年12月23日(日本時間24日)、ワシントン州マブトンで牛海綿状脳症(BSE)の疑いのある乳牛を発見したと発表した。25日に成田を発って、米国時間で26日に現地から第一報を書いた。牧場は米国のTVネットワークの中継車が集まり、多くの関心を集めた。私が到着したときには日本の他メディアY社の科学部の記者だけがぽつんと立っていた。大ニュースではあっても、3日経つと、もう関心は他に移ったのか。写真はその牧場の横で第一報に使う撮影をした私。「POSTED」でこの牧場が隔離されていることを示していた。まだ、牛は静かに草を食んでいたが、その後殺処分となったはずだ。
近所のマクドナルドで話を聞いたら「余り売り上げは変わらない」と話していたのが印象的だった。マブトンの町長にインタビューしたり、近くのレンダリング施設などを回ったりした。フロリダ大学名誉教授で知人のDr. James Simpsonが同行してくれた。
カナダから入れた乳牛で、米国内には「カナダの問題で米国のではない」という雰囲気もあった。しかし、日本政府は直ちに米国産牛肉の輸入をストップ。それ以前は日本の輸入牛肉市場を豪州産と米国産が二分していたのだが、一気に輸入牛肉の半分が消えた。米国政府は業界団体からの突き上げを受け、日本に対して輸入の再開を働きかけた。
日本は2001年9月11日にBSE感染牛が発見されていた。米国のNYテロ攻撃の前日だ。ちょうどフィンランドを訪問していたときで、一緒にいた世界中の農業ジャーナリストから「日本でBSE発見」の報に対する説明を求められていたが、彼らの関心はすぐにテロ攻撃に移った。とくに米国のジャーナリストは家族との連絡が取れず、泣き出す人もいた。携帯電話が普及し始めた時で、一斉にフィンランドから米国に連絡を試みたが、まったく通じなかった。私が持っていた携帯電話は安価なコールバックを利用するもので、なぜかよく通じたため、多くの人に貸した。後で高額の請求が来たが、彼らのメディアで「日本人ジャーナリストに感謝」の言葉が入ったので、よしとしよう。
03年から04年にかけて米国で過ごした。合間にミシシッピ州に飛んで、元の農務長官マイク・エスピー氏にインタビューをした。その時のことはまた触れたい。

と思ったら、13年前の1月15日にミシシッピ州ジャクソンで撮った写真が出てきた。エスピー氏は、長官時代のさまざまな訴追をすべて無罪で切り抜け、上機嫌だった。地元で弁護士事務所を開設する直前に訪れた。